「あなたのデータには値段がついている」と言われたら、いくらを想像するだろうか。月に数百円か、年に数千円か。米連邦取引委員会の調査や複数の学術推計を均すと、グーグルやメタが一人のユーザーから得る年間収益は数十ドルにとどまる。それなのに、シリコンバレー上位のプラットフォームは合計で年数兆ドル規模の時価総額を積み上げている。データ一粒の単価は安い。だが、データを集めた企業の価値は天文学的だ。この奇妙なズレこそ、データ配当(data dividend)の議論が必要になる出発点である。
2019年2月、カリフォルニア州知事ギャビン・ニューサム(Gavin Newsom)が施政方針演説で宣言した。「カリフォルニア州民は自分のデータが生む富の分け前を受け取るべきだ」。アラスカ州が原油配当を市民に分けているように、データの配当を。このたとえは強力だった。だが議論は2年で止まった。一人あたりいくら? どの企業から徴収する? どう分配する? どれも答えのない問いだった。
その停滞を破るために、バーグルエン研究所が動いた。ロサンゼルスを拠点とするシンクタンクで、カリフォルニア・データ配当作業部会を組織し、報告書『A Data Dividend that Works(機能するデータ配当)』を発表した。執筆陣には3つの分野から専門家が集まった。ノースウェスタン大学のブレント・ヘクトはコンピュータ科学者。マシュー・プルーウィットは「ラディカルエクスチェンジ財団」の弁護士。ヤコフ・ファイギンは若手経済学者である。本稿はこの設計書を、構成要素の論理を解きほぐしながら読んでいく。
出発点:「私のデータ」から「私たちのデータ」へ
報告書全体の出発点は、たった一つの概念転換にある。「my data(私のデータ)」から「our data(私たちのデータ)」へ。なぜ重要か。
データを個人の私有物として小売市場で売買できるなら、ニューサム当初案は素直に実装できる。各社が各個人のデータに値段をつけて買い取れば、それが配当の原資になる。だが学術研究はこの素朴な発想を一貫して批判してきた。
最初に問いを立てたのは、2018年のAEA Papers and Proceedings論文だった。執筆者は5人。当時スタンフォード大学にいたイマノル・アリエタ=イバラ、レナード・ゴフ、ディエゴ・ヒメネス=エルナンデス、技術哲学者ジャロン・ラニアー、経済学者グレン・ワイル。彼らの結論はこうだ。データは企業が無料で観察した資本ではなく、個人が日々の行動を通じて生み出している労働の成果物として扱うべきだ。だが個人と巨大プラットフォームの交渉力は絶望的に非対称である。労働の対価を引き出すには、競争政策、データ労働運動、規制という三つの対抗力が要る。
モナシュ大学のジャサン・サドフスキーは2019年、Big Data & Society誌でさらに踏み込んだ。データはもはや単なる労働の成果物でもない。データそのものが「資本」としての性質を獲得した。だからデータ収集は「採取」として進行する。鉱山から鉱石を掘り出すのに似ている。収集される側の同意も対価も、しばしば形だけのものになる。
経済学の言葉で本質を最も厳密に語ったのは、2020年のAmerican Economic Review論文だ。スタンフォード大学のチャールズ・ジョーンズとクリストファー・トネッティが書いた。データは「非競合財」だという。位置情報や医療記録は、A社が使っているからB社が使えないわけではない。一人のデータを複数企業が同時に使える。非競合財は逓増収穫をもたらすので、社会にとって最適なのは「広く使われる」ことになる。だが企業はクリエイティブ・デストラクションを恐れて、データを抱え込む。結果は社会的に非効率な利用だ。論文の重要な含意はこうだ。消費者にデータ所有権を与えれば、プライバシー選好と経済的利得を個人が比較し、最適に近い配分が実現する。
3本の論文が指し示すのは一つの方向だ。データを「私の」資産として個別に売る市場では問題が解けない。「私たちの」集合的資源として制度化すれば、効率と公正の両方に近づける。報告書はこの方向に賭けた。
第1の柱:データ依存税という独自の課税設計
報告書の第1の柱は「データ依存税(Data Dependence Tax)」である。一見すると新税だが、設計の細部に思想が詰まっている。
対象企業の特定には、カリフォルニア州消費者プライバシー法(CCPA)の基準を流用する。年間総売上2500万ドル超、年5万人以上の個人情報を売買、売上の50%以上を個人情報販売から得る、のいずれかに当てはまる企業だ。この基準を使えば、新たに「データ依存」の定義を法律で書き下ろさずに済む。複雑性を避けるという報告書の8原則の一つを忠実に守った設計である。
課税方式は「売上按分」を採る。グローバル売上のうちカリフォルニア州で発生した割合に応じて課税ベースを計算するやり方だ。すでに同州の法人税で使われている枠組みである。これを使えば、企業がデラウェア州やアイルランドに本社を移しても課税逃れができない。物理的な本社所在ではなく、事業実態で課税するからだ。
税率設計の核は「限界税率」構造である。ユーザー数の段階に応じて税率を上げる累進設計だ。報告書はこの設計の論拠を、データの特殊性に求める。個別の機械学習プロセスでは、追加データの限界価値は逓減する。一方でデータ収集と独占化の論理は別だ。ユーザー数を増やせば増やすほど報酬が大きい。両者のギャップを税で埋める。企業が「とにかくユーザーを抱え込む」インセンティブを抑え込もうという発想である。報告書付録のシミュレーションでは、アルファベット、アマゾン、フェイスブックが最も重い税率になる。地方のレストランや小規模ECは課税対象から実質除外される。
これに加え、第三者へのデータ販売、いわゆるデータブローカー業には別途データ売上税を課す。データ販売は仲介業者を経由して価値連鎖が複雑化しやすい。依存税だけでは取りこぼしが出る。ここを塞ぐ補助の税である。
第2の柱:徴収した税収をどう使うか
ここで多くの読者の素朴な期待が裏切られる。報告書は個人小切手による分配を明確に退けるのだ。論理は単純である。ジョーンズ&トネッティが示した通り、データの価値は集積から生まれる。集積されたデータの便益を個別の小切手に分解して戻すのは、原理的に非効率だ。しかも公平でもない。
代わりに推奨されるのは二つの使い道だ。
第一は公共サービスへの充当。教育、公共Wi-Fi、医療、貧困層向け住宅といった普遍的公共財に税収を投じる。報告書は具体的な数字を示す。カリフォルニア州法人税2019年実績131億ドルの10%、年13億ドル程度を「控えめな試算」として置く。州民4000万人で割れば、一人あたり年33ドル。世帯単位で戻せば約100ドル。この数値を見せた上で、報告書はこう断じる。「個人配当では構造的不平等を変えられない」。同じ財源を公共サービスに集中投下すれば、低所得層ほど便益が大きくなる構造を作れるからだ。
第二は「ベイビーボンド」である。これはニュースクール大学のダリック・ハミルトンとデューク大学のサンディ・ダリティが長年提唱してきた構想だ。出生時に国債類似のシード資金を全員に与え、年率1.5から2.0%で運用し、18歳で住宅・事業・教育に解禁する。両者の試算では、人種的資産格差を埋めるには傾斜配分が必要だという。最低所得層の子に5万から6万ドル、高所得層には2万から2万5千ドル。報告書はこの仕組みをデータ配当の主要な使途の一つに置く。なぜか。データ経済が生む構造的不平等の核は「フロー(年所得)」ではなく「ストック(資産)」だからだ。一回限りの幼少期シード資金は、世代間の資産移転格差を直接攻める。
逆に報告書が明示的に退けるのは「メリトクラティック支払い」だ。データ提供量に応じて個人に支払う案である。理由は二つ。第一に、個別データの値付けは技術的にまだ信頼できない。第二に、データ価値を算定するアルゴリズムは社会のバイアスを増幅する恐れが高い。むしろ不平等を深める。ここでも単純な市場メカニズムが拒絶される。
第3の柱:データ関係庁という独立規制機関
税を集めて使途を決めるだけでは、データ経済は動かない。技術と市場が急速に変化するなか、誰がルールを継続的に書き換え、評価するのか。この問いに答えるのが第3の柱、「データ関係庁(Data Relations Board, DRB)」である。
報告書のモデルは米環境保護庁(EPA)だ。1970年大気浄化法がEPAに大気質の継続的な規制権限を与えたように、データ経済にも同じ枠組みを持ち込む。DRBは独立の調査研究機能を持つ。データ依存企業の分類更新、税制パラメータの提案、新たに見つかったデータ被害の認定、公共データ信託の運用までを担う。
ここで参照すべき論文がある。エディンバラ大学のシルヴィー・ドラクロワとケンブリッジ大学のニール・ローレンスが2019年、International Data Privacy Law誌に発表した。彼らの提案は「ボトムアップ・データ信託」だ。データ受託者が忠実義務のもとで加入者のデータを集合的に運用する枠組みである。GDPRが個人に与えた権利を、データ受託者がまとめて代理行使する。この発想はEU欧州データガバナンス法にも取り込まれた。報告書のDRBは、こうした信託の「上から」の監督者として位置づけられる。
テュービンゲン大学のパトリック・フンメルらは2020年、Philosophy & Technology誌で「データ所有」と呼ばれる主張を解剖した。所有権の言説は実は4つの異なる次元を一括りにしている。物的支配、人格的承認、経済的便益、文化的承認。著者らはこの混同を解いたうえで提案する。「所有権を求める声は、究極的には資源の再分配と社会文化的承認の要求と読み替えるべきだ」。DRBの設置は、まさにこの「承認」を制度化する装置だと言える。
第4の柱:データ産業政策と公共インフラ
最後の柱はもっとも長期的かつ野心的な「データ産業政策」だ。データ経済を放置すれば自然独占に向かう。だから国家が能動的に競争空間を切り開き、公共データインフラを構築すべきだ、という論理である。
具体策は四つ。公共データ信託の整備、データ協同組合の法的整備、公共インターネット網の構築、AI研究への政府主導投資(DARPAモデルの再来)。
だが、ここで一つ警鐘を鳴らす必要がある。データ国家化のリスクである。マリオン・フルカーデ(UC Berkeley)とジェフ・ゴードンが2020年、ある重要な概念を提示した。「データ主義国家(dataist state)」である。掲載誌はJournal of Law and Political Economy。データ国家は透明性と説明責任を約束する一方で、実態ではデータ収集権限の拡大とともに「国家の企業化」が同時進行する、という観察だ。デジタル企業は国家データを獲得して資本化しようとし、国家自身も企業的論理で再編される。DRBを設置しても、企業化した国家が運営すれば、公共データ信託は新たな採取装置に変わりかねない。
ベルリン社会科学研究所のユリア・ポーレとトルステン・ティールは同じ2020年、Internet Policy Review誌で「デジタル主権」概念を整理した。デジタル主権は今、EU、中国、ロシアといった地域ブロックの政策語彙となっている。規制概念であると同時に政治言説実践でもある。報告書のデータ産業政策は、米州政府レベルでこのデジタル主権を獲得しようとする試みとして読める。
データ協同組合の参照モデルが、スイスの「MIDATA」である。チューリッヒ工科大学とベルン応用科学大学が組織する医療データ協同組合だ。参加者は自分の医療データを協同組合に預け、プライバシー水準を選び、研究用途に提供する。協同組合が法的に組合員の代理人として企業と交渉する。日本の生協法に近い枠組みを、データに適用したものと言える。
自動化の流れと、なぜ「いま」やるのか
最後に時代背景を押さえておきたい。なぜ報告書はこの時点で書かれたのか。
MITのダロン・アセモグルとボストン大学のパスカル・レストレポが2019年、Journal of Economic Perspectivesで「自動化と新業務」のフレームワークを提示した。自動化は労働の業務範囲を資本側に動かす。付加価値のうち労働分配率を引き下げる方向に作用する。新業務の創出があれば均衡は保たれるが、創出は自動的には起きない。
アセモグルは2021年のNBERワーキングペーパー『Harms of AI(AIの害)』でさらに踏み込んだ。AIの現在の軌道が放置されれば、競争、プライバシー、消費者選択、賃金、政治言説、民主主義のいずれにも害を及ぼしうる。とりわけ「過剰自動化」と呼ぶ現象が問題だ。人間労働を補完するのではなく置換するAI配備のことである。アセモグルの議論では、生産性を必ずしも上げない一方で労働分配率を下げる傾向が強いとされる。
データ配当をいま設計しないと、AIの便益分配が固定化される。これが報告書の時間軸での主張だ。
まとめ
以上を一文に圧縮するとこうなる。データを「私の」資産としてではなく「私たちの」集合資源として捉え直し、その価値を生み出す企業に売上按分の限界税率で課税し、税収を公共サービスとベイビーボンドに振り向け、独立行政機関(DRB)が全体を継続評価し、公共データ信託・データ協同組合・公共インフラ整備でデータ経済の競争空間そのものを書き換える。これが「機能するデータ配当」の設計である。
冒頭で問うた値段の話に戻ろう。あなたのデータが年に数千円なのか、年に数万円相当なのか。報告書の答えはこうだ。「正しい問い方ではない」。データの価値は集積から生まれる。だから配当も集積された形で取り戻すのが筋だ、というのが報告書の到達点だ。公共サービス、シード資金、競争的市場。これらの形で取り戻す。小切手は来ない。だが、来るはずだった小切手以上のものが、別の形で届く制度設計は可能である。報告書はその青写真を示している。
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